zinmen_shoujoのブログ

思ったことを書き殴っただけ。

きっと一生愛おしい彼女へ

 

 


いつか取られる物だとまだ思えていなかった。思いもしなかった。

中学生の時から知り合いではあったけれど親交の無かった彼女とは高校生になってから"友達"として2人で行動するようになった。3年間同じクラスだったので3年間ずっと。最初は特に何も思わなかった。私のクラスでの居場所という意味で彼女がいて良かったと思っただけだった。私は"してあげる"事で自分に意味を感じる人間だったという点と、自分の予想通りに受け答えをする相手を見るのが好きという点で彼女は自分の側に置くのにうってつけだった。そして私は密かに中学生の頃に作った親友に不満を持っていたので是非とも彼女にはその不満点を改善された親友になって欲しいと画策していた。

自分だけのものが欲しかった。中学生の頃に作った親友は私以外にも親友がいて、私に対する心の分配が少なかったし、もう1人の親友は親友という定義を私に対して持っていたが彼女が心の軸にしているのは親友ではなく異性だったので論外だった。私は自分が必要とされて然るべきと考えていたのでもう1人私だけを必要とする私だけの親友が必要だと考えていた傲慢な人間だった。彼女はそのようないきさつで私が友達になりたいと思っているなどと知る由もなく、ただ「貴女がいて良かった。私、友達がいないからこのクラスでどうしようかと思っていた。」と安心したようにそれだけ言った。

彼女は小学生の頃虐められていて、中学に進級すると今度は"良いように使える"友達と3年間その相手を替え後をついて回っていた。これは別に彼女に問題があると言うか、彼女の小学生の頃与えられた影響によるもので、彼女の意図ではなかった。求め方や、自分に必要な物を取捨選択すると言う事が極端に出来なくなってしまった彼女はそうやって中学までを過ごした。その為彼女にはなんとも形容し難いのだがちぐはぐな箇所が幾つも見受けられた。

2人で会話をしているとき突然笑い出したかと思えば思い出し笑いをしていた、と言われたり。あまり多用されないネットスラングを分からない人にも使ったり。人を刺す様な言葉を使われて大分落ち込んだ私に、後日そんなつもりで言ったわけではないときょとんとしたり。

ざっくりと、一概に言うと彼女は相手の立場になって考える事が致命的に出来ないのだった。勿論他人の考えている事など分かる物ではないが彼女には一般的な考え方、普通が分からない。これはこう言われたら人はこう思うということ、この行動はこのタイミングではしてはいけないということ。対等な人と人との一般的なやりとりが分からない。何故かは彼女の過去を省みれば想像に難くないが、私は大変これに振り回され悩まされた。

けれど彼女のそういう所を嫌いとは思わず、ただ痛々しいな、と高校生ながらに思った。彼女はそもそも自分の発言が人に影響を及ぼすという事が分からない。そういう扱いをおよそ7、8年にわたり受けてきた。詳しく聞いた事は1度もないが、彼女の言葉の端々からそれは感じられるのでただ、痛々しいと、学校という環境が子供にもたらす結果を恐ろしいなと思った。

そして何より彼女の魅力は尽きなかった。彼女の知識は狭く深くて、私は自分の視野が広がるのが楽しかったし、彼女の絵は美しかった。歌も上手いので、描くのが好きで、歌うのが好きな私には予想外に嬉しい事だった。極めつけに、彼女は無垢だった。彼女には建前がなく、裏がなく、他人に対して嫉妬や、値踏みをしたりしなかった。中学時代、女子生徒が集まると必ず起こる人間関係のトラブルと、そこから派生して尾ひれの付け足されて行く噂話に私はほとほと疲れ果てていたのでこれは本当に有難い事だった。有難いと言うか、尊敬していた。何故なら私は建前を使い分け、裏で人をなじり、他人を妬みそれを自分のプライドで隠したり、値踏みをする様な人間だからである。

随分前に触れたが私は人に尽くすのが好きだ。相手が喜ぶ行動をとったり、発言をするのが今でも私の生き甲斐だ。そんな私にとって彼女は素晴らしい相手だった。彼女には全くと言っていい程に裏がない。打算がない。なので嬉しければ喜び、嬉しくなければ喜ばなかった。本当に嬉しければ本当に嬉しいと言い、嬉しくなければすんとした顔でありがとう、とだけ返した。そうして私はありとあらゆる手を尽くして彼女を心から喜ばせた。私もその道は長いので大体において彼女は喜んでくれた。誕生日でもないのにプレゼントをしてみたり、お菓子を渡したりした。溺愛や依存に近いそれは長らく行われた。

溺愛はともかくとして依存と評したのには理由がある。私は捻くれた人間だった。尽くす事を生き甲斐にしているのは結局他者に求めて貰う事で自分の価値を見出しているのであり、ただの私の自己満足である。私の承認欲求の為にそれは行われている。人に尽くしている様で私はただただ自分に尽くしている。なので結局私は他者の事を省みない、踏みにじる。期待させる様な事を言って落胆させたり、悪気のない顔をして私の言葉で傷つけたり、彼女の顔を伺い密かに喜んだりした。わざと辛く当たっても後についてくる彼女を従えて満足感に満たされた。傷つけるのが出来るのが出来るのも喜ばせるのが出来るのも私だけだと誇示する為に、クラスでは過剰に2人きりでいた。

はっきりと言ってしまうなら彼女の事を馬鹿にしていた。値踏みした上で私より総合的に劣っていると判断した。尊敬していたなどと宣った口で何を言ってるんだと思うかもしれないが私は人を尊敬出来る点、出来ない点を列挙した上で私の独自の価値観により自分より上か下かを判断していた。そうして先に述べた通りに人を自分の手のひらの上で転がすのが私の趣味だった。

ただ彼女に振り回される事も多かったので、基本的に水面下でそれは行われ、たまに返り討ちにあったりした。した事もあり、結果だけ述べると基本的に高校3年間にわたり2人きりだった私達に支障は無かった。そして高校3年生に入り、いくつかの転機が訪れた。

まず私に訪れた転機と言うのは、成績が極端に落ちた。親に怒られるからという理由と、自分の価値と体裁のためだけに勉強してきた私には受験勉強の意味が分からなかった。私立に通わせているのだから結果を出せと急き立てていた親は、今度は突然貴方の将来なのだから貴方が頑張りなさいと急き立てた。祖父母の家に帰るとお前が後を継がなければならない、と顔を合わせる度に様々な言い方、表現の仕方で祖母は私を呪った。すっかり勉強する意味がわからなくなった私は勉強が手につかなくなり、成績は落ちた。特進クラスと銘打たれ3年間にわたり鼓舞され、密閉された集団は、そうなった途端に私の扱いをころりと変えた。みんなにせいせきさがったよねっていわれてるよ。さいきんじゅんいひょうであなたのなまえをみないね。悪気はない様だった。以前から私と話す時と同じ笑顔で、同じ声色で、その人達はそう言い募った。悪気の無い、普段と変わらない、だからこそ私にはとても恐ろしくショッキングな事だった。私の人権は私の意図しない所で勝手に軽くなり、直接的にも間接的にも私への態度は不躾になり軽薄になった。あからさまに。これほど恐ろしい事はなかった。私の傲慢さはこの時の事件のせいでそのなりを潜めた。そうして成績はまた下がり、クラスでの私の人権はどんどん宙に浮き、親から叱られ、先生は私を見捨てた。三者面談のあの空気を、忘れられない。いつもの通りに褒められるだけ褒められに来たつもりだった母親の、状況の理解出来ていない受け答え。将来を見据え、努力に輝く生徒を愛する教員が私に下した無関心を極める評価。家でついに母親は泣いた。こんな、じゅくのおくりむかえまでしているのに、あなたに、こんなにおかねをかけているのに。気でも狂ってしまえば良かったのだが、私自身自分に何が起きているのか当時は分からずただ途方にくれ、呆然としていた。勉強が手につかなくなった自分を責めた。泣きながらシャーペンを握り、全く頭に入ってこない教科書を見つめたりした。分けの分からないまま沸々と湧き出る名前のつけ難い感情は確実に溜まっていき私を苛んだ。そしてそのとばっちりは、彼女に行った。

大変な頻度で私は彼女に切々と自分の状況を話した。彼女はそれでも、辛抱強く聴いてくれた。話したところでどうなるわけでもなく、彼女と一緒にいる時も私の態度は悪かった。甘えていたと思う。この頃にはもう彼女は私にとってほぼ対等で、背中を任せるには少しだけ頼りないかな、くらいには進歩していた。そうして話はこないだ母親に泣かれた話になり、それを聞いた彼女は憤った顔でこう言った。

「貴方にお金を投資しているのも、送り迎えをしているのも、貴方の母親が勝手にやった事であって、それに見返りを求めるのはおかしいでしょう。」

本当に心からびっくりした。私の家では私の所有物は全て親の金で賄われているため全て親の所有物であり、つまり養ってもらっている身分であるという価値観であり、教育をされていた。そのため私の勉強机の中は勝手に荒らされたり、探られたりしたし、携帯は私の許可なく親に覗かれたがそれも当然の事という事になっていた。なので彼女の発言は、考え方は私では思いもしない事であり、私を本当に驚かせた。そしてその言葉は私を救った。

同じような時期にこんなことがあった。昼はほかの友達を含め4人で食べていたのだが、そのうち1人が自分の進路や、この間の模試の志望校の合格率の話を始めた。私のクラスでは本当にこの手の人間が多かった。先生の教育はクラスの人間のプライドをおかしな方向に曲げていき、大多数の生徒は受験のストレスもあり特進という名にすがった。その人は自分の第ニ志望の合格率がCだったからこれはいけるかもしれないという話をそれは得意げに、それはそれは遠回しにくどくどと話した。私はそう言う話をされる度に身が擦り切れる様だった。人に尽くすのが好きで、人の気持ちを考えて考えて話す私にとってはもはやその類いの話は毒だった。他者の事を考えてすらいないのだ。自分以外を蔑ろにする発言には怒りというか、怒ってはいたが、それよりも不快で悲しかった。と同時に成績が下がる一方の私、という意味でもきつかった。自慢するだけして2人がいなくなった後、彼女は貴方だから話すけど、というような発言を前置きしたあと困った様な顔で言った。私さっきあの子が言っていた第二志望の学校、合格率Bだったんだよね。本当に参ったなぁと言う顔だった。嘘をついてしまったなという罪悪感までもがそこにはある様だった。得意げな様子も、誇示する様な態度も一切見られなかった。ただただ、困ってしまった、という様にぼやいたあと、この話を彼女が続ける事はなかった。

本当に、本当に自分を恥じた。馬鹿にしていた。自分が守ってあげているのだと、面倒を私が見てあげているのだとずっと思っていた彼女に私は救われ、教えられていた。彼女の尊敬すべき所なんて、全て把握しているつもりだった。その頃には彼女は私の手を全く借りず他のクラスに2人きりで遊びに行けるような友達が出来た。交換ノートのように物語をノートに綴り合う友達がいた。クラスの人とも席が近かったり、係が一緒になったりをきっかけに話す友達が増えていった。そして成績が落ち、馬鹿にされ続ける私にも今までと全く変わりない態度で接し続けた。他で友達が出来ても、私を大切にし続けてくれた。恥じたなんて書いたけれどあの時は恥じる暇もなかった。ただただ、彼女に救われ続けていた。流石の私もこの頃には少し大人になったと思う。彼女も勿論大人になったから他で友達が出来たのだと思うけれど、私達には決定的な違いがある。

彼女は本質は何も変わっていないのだ。彼女は最初から分かっている。何が本当に自分にとって大切なのか。大切にするべきなのか。変わったのは自分が人に与える影響がちゃんとあるのだと気付けたということ。それだけ。本当に美しい人だと思う。体裁も、周りの目も気にならない彼女の発言はまだまだ危なっかしい事が多かったが、その為に人に響きやすかった。彼女を疑う人はいないし、彼女と話す時は皆心から話せた。どう見られるかを考えず描かれる絵は、綴られる言葉は、歌は、誰よりもいきいきとして美しかった。

そうして私は結局親友を手に入れた訳だが、当初の目的は心からどうでもよくなってしまい、ただお互いの為に今でも親交を続けている。

 


そして1番始めに戻る。

その手の話題は全く上がらなかった彼女だが、環境が変わり、良い人が出来たという報告を受けた。好意を寄せてくれる人もいたのだが、自分から気持ちをちゃんと伝え、断ったと。良い人が出来たというのも、真っ先に報告したかったと。正直この時点で昔の彼女では絶対にあり得なかったので泣いてしまった。愛しい彼女は遠くに行ってしまったが、遠くに行ってしまった事が喜ばしくて涙が出てしまった。彼女の幸せが自分の事のように幸せで、そんな自分の気持ちに驚いてしまった。他人の幸せが自分の幸せなんて、なんと薄っぺらい言葉かと馬鹿にしていたのに、自分が今まさにそうなっている事に戸惑った。

そうして何度も何度もお祝いの言葉を重ねて、幸せだなと何度も何度もひとりごちて、幸せに浸ったまま私は寝た。シャンパンを注ぎ、グラスいっぱいに盛り上がった泡が、時間が経つと弾けて消えてしまう様に、次の日私は埋めがたい喪失感を自分の心に感じた。

いつか来ると思っていたし、なんなら相手を聞いてもやっぱりそうか、と思った。筈だけれど。だけどこんなに急だと思わなかった。こんなにすぐだなんて聞いてなかった。まだまだ私のものだと思っていた。この後に及んで私はまだそんな傲慢な事を考えていたのだった。クリスマスも、誕生日も、彼女に素晴らしい転機が訪れた日も、どれもこれもこれからもずっと私が祝えると信じていた。彼女のありがとうも、彼女の嬉しそうな顔も、彼女の時間をこれからも私が独占出来るとなぜか決めつけていた。私はずっと愚かなままだ。彼女ほど魅力的な人が、他の人に取られないなどと...思っていたわけではない。知らないふりをし続けていただけだ。目を塞ぎ続けていただけ。そして私は愚かで人を信じられないので、良い人が出来た、ではなく彼女を取られた、という表現を使う。

この先どうなるか分からないけれど、本当に彼女は、あなたは、私を振り回し続けるのね。私もね、前よりは心の余裕が出来たからあなたに一喜一憂する頻度こそ減ったけれど、それでも私の大切な大切な人には変わりないから。きっと親友を超えてしまったから。恩師であり、恩人であり、親友であり、私の妹のようなあなた。私の数少ない尊敬するひと。私の心の穴を、私の代わりに埋めてくれるひと。

 

 


きっと一生愛おしい彼女へ。貴方はあの日の報告の後に、私に言ってくれました。

「あのね、私にとってあなたは厳選された、数少ない友達の1人で、大切な親友だよ。だけどあなたは沢山の人と関わる大切さを知っていて、沢山の友達と関わりを持ち続ける事の出来るひとでしょう。私は傲慢にも、そんなあなたの大切な人である自信があって、私はそれが数少ない自分の自慢でもあるのよ。」

ねえ、親友とはいえ、他人に言われた言葉で、心がこんなにも満たされる事の凄さが分かりますか?前よりも少しだけ年をとって、色々な人に会って私は知りました。友達が出来ても、心が満たされず、信用出来ず、いつも不安で寂しくて攻撃的になってしまう人がこの時代には多くいる事を。私はあなたに会えただけでこの人生に意味があったと思う。

 


きっと一生愛おしい彼女へ。幸せを願い合える尊さを教えてくれてありがとう。急な電話も、その電話先で泣いても、受け止めてくれてありがとう。私の泣く居場所は家族にはないから、あなたにその居場所を作ってもらって本当に助かっています。振り回すような、八つ当たりするような言動をとっても分かった上で付き沿ってくれてありがとう。私を必要としてくれてありがとう。沢山の感謝をあなたに。

 


きっと一生愛おしい彼女へ。あなたの人生がこれから先ずっと晴れていますように。辛いことを辛いと、もっと声を上げれるようになりますように。あなたがあなたの素晴らしさに気付けますように。

 


そして願わくば、これからもずっと、私があなたの大切な人でありますように。

 

 

 

きっと一生愛おしい彼女へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部フィクションです。